芸術作品が生まれる「制作」の時間そのものを表現することは可能なのだろうか?
もし可能だとするならば「制作」するという事 ”自体” を実在する「作品」の中に内在させるという事になるのだろう。
「制作」の時間は、感性やイメージの密度が高まれば高まるほど、
目の前の物質としての作品からは乖離していく。
「作品」上で、2次元でも3次元でもない、空間自体を表現することで、
その内側に「制作」自体への手掛かりを探る。
この概念に基づいて制作された作品は、
他者が実際の空間として意識した瞬間に作品自体と成り得るのだろうか?
それとも他者によってそこに内在する空間として
認識された瞬間に作品存在と成り得るのだろうか?
制作の中で「作品」を実在する対象として据え置く事で、
制作存在自体というものの表現を試みている。
2015 宝塚大学 造形芸術学部 アートデザイン学科
美術領域 彫刻コース 卒業
鳴門教育大学 大学院 教科・領域専攻
2017 芸術コース(美術) 卒業